KINDAI UNIVERSITY

THE POWER OF SCIENCE

THE POWER OF SCIENCE

微⽣物のゲノム解析から 医療や低炭素化社会の実現をめざす

東 慶直 教授/分⼦⽣化学研究室

先生が研究している肺炎クラミジアとは何ですか?

肺炎クラミジア菌は、日本をはじめ多くの国のほとんどの人が感染した経験がある軽い風邪の原因菌です。幼児が感染すると肺炎を起こすことがあり注意が必要ですが、成人では大した症状が出ることもなく、お年寄りが感染しても肺炎クラミジア菌が原因で亡くなるということはほとんどありません。危険性が低いと考えられたこの「軽い風邪」は研究者も少なく、肺炎クラミジア菌は約30年前にようやく全く新しい微生物として発見されました。しかし、疫学調査によって20年ほど前から肺炎クラミジアが動脈硬化の進行に関係しているのではないかといわれるようになり、にわかに脚光を浴びるようになりました。実際に、動脈硬化を起こした患者様の動脈を調べると、肺炎クラミジア菌にびっしりと感染していることが分かりました。

動脈硬化は血管が硬くなって、
血液の流れが悪くなった状態ですよね?
そこに肺炎クラミジアが関わっているのですか?

動脈硬化は、心疾患や脳血管疾患の基礎疾患となっています。この2つの疾患は日本人の死因の上位を占めますので、動脈硬化が日本人の死因と深く関わっていることが分かります。
動脈硬化の悪化は長年の生活習慣が原因とされるので、たばこや暴飲暴食をやめ、生活習慣を改めれば動脈硬化の進行を抑えることは可能かもしれません。しかし、動脈硬化の原因だと考えられる肺炎クラミジア菌に関しては、生活習慣を改善しても抑えられるとは考えにくく、予防や治療など感染症対策が必要になります。
肺炎クラミジア菌による風邪や肺炎は抗生剤によって治せますので、「抗生剤を使えば動脈硬化を治せるのでは?」と考えられます。実際、動脈硬化の悪化による動脈閉塞を発症し治療した患者様に抗生剤を投与し、動脈硬化を抑制することによって動脈閉塞症の再発を抑制できるか調べる研究が行われました。その結果、確かに風邪にはかかりにくくなったようですが、動脈閉塞症の再発は抑えられないことが明らかになりました。風邪を起こすような肺炎クラミジア菌の急性感染には抗生剤は有効ですが、動脈硬化部に棲む肺炎クラミジア菌は持続感染の状態になっていて、抗生剤では除去できないことが判明しました。
私の研究テーマは、この肺炎クラミジア菌のゲノム解析(全遺伝子の解析)を通して、動脈硬化の原因となる肺炎クラミジア菌の持続感染を抑える方法を見つけることです。肺炎クラミジア菌に限らず微生物のゲノムを理解することで、つまりその微生物の生き様を理解することで、その微生物を人間に有益なものとして扱えるようになると考えています。


パソコンのディスプレイに表示されているのは、ある種の微生物のゲノムの解析結果。ずらりと並ぶ塩基配列を解析します

先生はなぜ肺炎クラミジア菌に興味を持ったのですか?

大学時代はがん細胞が抗がん剤を細胞から排出するための膜タンパク質の研究を、大学院時代は酵母菌を使って何千種類もある遺伝子を調和的に機能させる「転写」を担うRNAポリメラーゼの研究をしていました。その後アメリカに留学し、細胞内でつくられた非常に多種類の物質が核の中に入るという現象に興味を持ち研究を進めました。これらの研究を進める中で、多くの分子が連携するダイナミックな細胞機能に興味をもつようになり、生物が持っている全遺伝子の機能解析が、つまりゲノム解析が必要だと感じるようになりました。
当時、ヒトのゲノムを解析する世界的な共同研究は始まっていましたが、微生物のゲノム解析さえまだ全く発表されていませんでした。ウエットな(生物学の)実験もドライな(計算機を用いる)実験も「自分個人の力で」と考えると、ヒトのゲノムは遙かに巨大でしたが、ミトコンドリアのような細胞小器官や微生物のゲノムならなんとかなると思い込みました。とにかく、本格的に微生物のゲノムを解析するために、アメリカから帰国し経済産業省の研究機関で研究を開始しました。

ところで、ミトコンドリアは、数億年前にある種の微生物が他の生物の細胞の中に入り込み、大気中に濃度を増していった酸素を使いエネルギーを作り出し、さらに毒性の高い酸素に耐性を与える細胞小器官になったと考えられます。動物も植物もその細胞の中にミトコンドリアというこの細胞小器官を持っています。その研究機関で研究対象としたのは、温泉の沸騰するような湯の中で生きている微生物で、地球上の生物の進化を考えさせられました。中でも、他の生物の中に入り込んで、その生物に大きな影響を与える生き方をした微生物はどのようにしてミトコンドリアに進化したのか、興味惹かれるようになりました。それは、大学生の時から留学先までの研究テーマであった「膜を隔てた二領域間のコミュニケーション」の延長線上にあるのだと思っています。

しかし、ミトコンドリアの進化の研究は、いかんせん極めて基礎的な生物学の(つまりあまり役に立たない)研究であり、研究するポジションも予算もありませんでした。そんな中、ミトコンドリアの祖先微生物のように動物の細胞の中に侵入して生存する肺炎クラミジア菌の研究をするポジションが見つかりました。その研究室では、まさにミトコンドリアの祖先微生物と同じ系統のリケッチア菌という微生物のゲノム解析も始めました。
このリケッチア菌は日本紅斑熱病の原因微生物で、普段はダニなどの節足動物の細胞の中で生息していますが、ダニに噛まれて感染するとヒトは病気を発症してしまいます。実は、このリケッチア菌に近い微生物にのちにゲノム解析の対象となる酢酸菌も含まれています。これが、ミトコンドリア―クラミジア菌―リケッチア菌―酢酸菌の関係と言えます。とにかく、当時は、肺炎クラミジア菌が動脈硬化の原因かもしれないと言われ始めた頃で、これは面白くなると、非常に興味をもって肺炎クラミジア菌の研究をスタートしました。

クラミジアと聞くと、 性感染症をまず思い浮かべるのですが......

日本をはじめとして先進国において最も深刻な性行為感染症である性器クラミジア感染症は、クラミジア・トラコマチス菌に感染して発症します。また、古代エジプトの時代からトラコーマとして知られている結膜炎もクラミジア・トラコマチス菌が原因となります。アフリカなどでは失明の第一原因であり、深刻な被害を出しています。このトラコマチス菌と肺炎クラミジア菌は非常によく似ており、感染が悪化しても人を殺すような重症化することはほとんどありません。しかし、トラコマチス菌は不妊症の重大な原因であり、肺炎クラミジア菌は動脈硬化症の原因となります。どちらの菌もその感染によって人を直接死に追いやることはないかもしれません。しかし、望まれる妊娠を妨げる、壮年期の充実した活動を困難にするなど、経済的な意味でも人類の繁栄においても大きなダメージを負わせる微生物です。
クラミジア菌も大昔は爬虫類や哺乳類を殺していたかもしれませんが、今では鳥類や哺乳類の細胞の中でぬくぬくと生きられるように進化したものだけが生き延びています。ちなみに、オーストラリアでは、ヒトの感染症原因菌である肺炎クラミジア菌がコアラの致死的な感染症を起こすとして大きな問題になっています。

クラミジアの種類と疾患

ヒトでの急性疾患 慢性疾患・関連疾患 特徴
肺炎クラミジア 風邪
肺炎
気管支炎
動脈硬化症
虚血性心疾患
ぜんそく
成人の約60%が抗体保有
全肺炎の約10%に関与
1989
年に新種として確立
性行為感染症
クラミジア
性行為感染症
結膜炎
新生児肺炎
不妊症、子宮外妊娠
骨盤内感染症
失明
女性では自覚症状に乏しい
HIV
感染が34倍増加
発展途上国では失明の第一要因
オウム病
クラミジア
風邪
肺炎
結膜炎
心筋炎
髄膜炎
高齢者の死亡率が高い
人畜共通感染症

ゲノム解析で、
どのように微生物の進化を解き明かすのですか?

肺炎クラミジア菌は、現在のようにヒトの細胞に寄生を成功させる進化の過程で、それまで持っていたと考えられる遺伝子の多くを失っています。多くの微生物は4,000個くらいの遺伝子を持っていますが、肺炎クラミジア菌は1,000個ほどの遺伝子しか持っていません。温度変化や乾燥といったストレスの高い環境に応答する能力は、他の微生物にとっては非常に重大ですが、ヒトの細胞の中は非常に穏やかな環境なのでその環境応答能力を相当失っても生きていけるのだろうと想像できます。肺炎クラミジア菌のゲノム解析は、そのことを如実に示しています。ヒトの細胞に寄生するという能力が維持されていれば良い訳ですが、それがどういうメカニズムによるものなのか、ゲノム解析から明らかにしていくのが私の仕事です。

例えば、肺炎クラミジア菌が持つ1,000個の遺伝子のうちの100個ぐらいはどう考えても微生物に由来する遺伝子ではなく、いずれかの動物か植物に由来する遺伝子だとゲノム解析の結果が示しています。1億年以上昔に動物か植物の細胞の中に入ろうとした初期のクラミジア菌は、その細胞が持つ遺伝子を自らのゲノムに取り入れることによって、ついにはその寄生宿主から排除されない、もしくは寄生宿主を上手にコントロールする能力を手に入れたのだと想像しています。もちろん、そんな大きな進化が短期間におこるとは考えられませんので、寄生することを相当な回数繰り返して、もしくは逆にクラミジア菌がその宿主細胞に食べられることを何度も繰り返して、現在のような寄生に成功したのだと想像できます。ジュール・ヴェルヌが1888年に発表した冒険小説「十五少年漂流記」にも似たような記述がありますので、一度読んで見つけてみてください。一方、2000個にもおよぶ遺伝子の大量喪失の進化は、進化におけるラマルクの「要不要説」のように案外短期間で起こった進化かもしれません。

ここではあまり詳しくは話せませんが、肺炎クラミジア菌がどのようにヒトの細胞に寄生し、持続感染に成功したのか、その進化のメカニズムをゲノム解析から明らかにしたいと考えています。それが理解できれば、肺炎クラミジア菌の持続感染を阻止し、動脈硬化の発症を抑制することも可能になると信じています。もちろん、その肺炎クラミジア菌の研究は、クラミジア・トラコマチス菌が原因となる不妊の予防にもつながると考えています。

根コブ病の研究もされているとのことですが、
どのような研究ですか?

10年くらい前に近畿大学生物理工学部に着任した時、実は、研究室もなく、研究指導する学生もおらず、研究費もない状態でした。することがないので、物好きな大学1年生を連れて、大学近くの農家さんに、「何か困りごとありませんか」と尋ねて歩きました。農家さんには様々な困りごとはあるようでしたが、私が自分の守備範囲だと思ったのが、「ジャンボタニシ」と「アザミウマ」、そして「根コブ病」でした。ジャンボタニシについては同じ研究室の武部教授が発展的に研究をされていますので、興味がありましたら「近畿大学生物理工学部の武部教授」で検索してください。アザミウマは体長2mmくらいの昆虫で、それがぴょんぴょん跳ねているのを見ると全身がむず痒くなるので、和歌山県農業試験場の研究員の方にはお世話になりましたが、研究は中断しました。

根コブ病はアブラナ科植物(白菜、キャベツ、ブロッコリー、アブラナなど)の病気で、世界中でその農業生産の10%以上を枯らすなど甚大な被害を生み出しています。その根コブ病の原因である根コブ病菌は、クラミジア菌やリケッチア菌と同様に偏性細胞内寄生性微生物(宿主の細胞の中に寄生することによってのみ生存できる微生物)であり、浅はかにも「何とかなる」と思ってしまいました。まずは、研究室の窓辺で白菜を育てながら根コブ病菌を感染させる生活を2年送りました(実は、近畿大学に着任して半年後には、地球温暖化問題に取り組む生物系特定産業技術研究推進機構やALCA(先端的低炭素化技術開発)の研究を受託しましたので、後で紹介します酢酸菌やハロモナス菌の研究が近畿大学での私の主要な研究になりました。根コブ病菌の研究もゆっくりではありますが着実に続けていきました)。
研究を10年続けた現在は、白菜から無限に増殖し必要に応じて根に分化させることのできるカルスを樹立し、分離した根コブ病菌を感染させることができるようになりました。その研究を基盤にして、根コブ病菌に耐性を与える遺伝子の分離とその応用に向けて研究を進めています。ここでも和歌山県農業試験場の方などにお世話になっています。


根コブ病菌の感染阻止方法を研究

TOPICS

微生物のゲノム研究の一環で、
酢酸菌を用いた醸造、生分解性プラスチックの生産

生物の細胞に入り込んでのみ生きていける微生物(偏性細胞内寄生性微生物)の研究を進めていますが、自立して生きる微生物も研究の対象としています。その1つが酢酸菌です。もともとは、ミトコンドリアの起源となった微生物の研究の一環として、リケッチアに近縁でかつ自立して増殖できる微生物として酢酸菌を研究対象としました。また、日本には食酢醸造とその醸造を解析する研究で世界をリードしていますので、酢酸菌のゲノム解析はその一端であるとも言えます。先ほどゲノム解析を「自分個人の力で」とか言いましたが、ゲノム解析には大きな予算と多岐にわたる知識と技術が必要で、日本の食酢メーカーと経済産業省の製品評価技術基盤機構などとの共同でゲノム解析を進めました。またその発展的な研究には生物系特定産業技術研究推進機構の支援を受けています。その一環として、学内で黒酢の醸造実験を行っており、伝統的な醸造中の微生物の働きやお酢の有効性について調べています

生分解性プラスチックは、レジ袋のほか、車や電気製品のパーツなどに使われることが増えてきました。ただ、現在主流となっています生分解性プラスチックは、堆肥の中でなら数か月かけて分解されますが、海に流れ出した状態や地表の空気に触れるところでは分解できません。さらに、一見分解できたように見えても、マイクロ粒子になって分解が停止し、二酸化炭素や水分子のレベルまで分解がすすまない素材のものも多くあります。
当研究室では関西の大手エネルギーメーカーと共同で、特殊な微生物と植物由来の原料を用いて、必要十分な強度を持ちながら川や海の中でも分解するプラスチックを安価に生産する研究を進めています。100年かけて発達した化学工業は極めて優秀ですが、例え投げ捨てられたとしても地球に還ることができる環境負荷の低い生分解性バイオプラスチックをつくることで社会貢献できればと思います。


学内にある黒酢の壺